亡くなったおばが住んでいた古い町屋を受け継いだアラフォーの独身女性、祥子。
祥子は、桐ダンスでふさがれ中に入ることができない1室のふすまが、タンスの上から数センチ開いているのが見え、気になっている。
タンス越しに背伸びをして閉めるが、次の日も開いていて、を繰り返し、ついにふすまが開かれる瞬間を目の当たりにする…!
【ネタバレ】
ぞっとするけど、めちゃくちゃホラーというわけでもない。
小説を読み終えてタイトルの意味がなんとなく分かるけど、キチンとはわからないので調べてみた。
営繕→建築物を新築または修理すること。
かるかや→山野に自生するイネ科の多年生植物。屋根を葺く(かやや木の皮などで屋根を覆うこと)ために刈り取る草。
怪異→道理では説明がつかないほど不思議で異様なこと。
譚→話。物語。
この小説は6編の短編で成り立っている。
各話の主人公の家族構成や物語が始まる時点(怪異に遭う前)での心の持ちようなどが描写されているので、”日常からの不気味な出来事”感がすごい…。
妙にリアルで気持ち悪く感じる…。
6編とも舞台はとある城下町で、各話の後半はすべて「営繕かるかや」と書かれた名刺を渡す若い男性の尾端が怪異の原因である家に手を加え、解決している。
「営繕かるかや」は会社名なんだろうな。
解決といっても、尾端自身は営繕屋なので、お祓いは一切しない。
‟生きているものではない何か”を「逃がす」か「共存」かするために手を加えている…。
「共存」ってやばいけどな…。
主人公、尾端のその案でよくOK出したな、って思ったりもしたけど、害がなかったら別にいいのかな…?
私は嫌だけど…。
尾端という男が何者かはほとんど語られない。
主人公が悩んで、電話をかけた大工の知り合いだったり、友達の知り合いだったりする。
なので、みんな尾端が何者かよくわかっていないけど自分の悩みを解決できるならと尾端に任せてる感じ。
個人的に尾端という男は、子どもの時から‟生きているものではない何か”を敏感に察知していて、それらは怖いものではなくて悲しいものだと知っていたんじゃないかな、と思う。
でないと、「逃がす」や「共存」の発想には至らないよな…。
また、6話のうち、‟何か”が幽霊だと確定してるのが4話ある。
そのうちの3話の死因が確定している。
・何代か前の妾が病気になって主人公の町屋に引き取られたが誰にも面倒をみられないまま死んだ
・ボケ始めた爺さんが同居していた息子一家に年金を勝手に使われ虐待され、身体を壊して死んだ
・冬に母親がエンジンをかけたまま車を離れ車に乗ったままの子どもが排ガスにやられて死んだ
こう見ると、みんなかわいそうな死に方をしてるんよな…。
生きてる人間からすると幽霊は恐怖の対象でしかないが、少なくとも上の3人は、人間に助けを求めているのかなとも思える様子だった。
‟何か”の正体のほとんどがそういう人たちであることを、尾端は知ってるんだろう。
でもそう考えたら、かわいそうな死に方してなお死んだ場所にとらわれ苦しまないといけないの辛すぎやん…?
爺さんを虐待した息子一家が普通に成仏してたらマジで理不尽すぎるわ…。
なんかいろいろと悲しくてこわくて、ぞっとするお話でした。