ダサくて頼りないバツイチおじさんのノブくんと、若くてさばさばしたしっかりもの杏子の年の差夫婦の日常。
1998-1999年に放送のイッセー尾形と永作博美が夫婦を演じた、木皿泉が脚本の作品。
すべて会話文なので緩やかにすぐ読めた。
女優の美村里江(元ミムラ)さんの11ページある解説が面白かった。
冒頭2ページは自分がどれだけ木皿泉作品が好きかを熱弁。
めちゃくちゃ自己主張強い出だしなのに普段からエッセイを書かれてるからか不快になることなくとても読みやすい文章だった。
私がこの作品含め木皿泉作品に思うのは、「女性が最先端の生き方してる」ということ。
この作品は98年の放送だけど夫婦共働き、2003年放送の「すいか」では女性4人のシェアハウスが舞台。
これは「木皿泉」の一人である妻鹿さん(「木皿泉」は夫婦で活動してる)が我が道を往く生き方をしてるからだと思った。
妻鹿さんは以前珈琲店で働いていたとき接客業なのに素っぴんであることを店主に注意された。
しかし化粧が嫌いな妻鹿さんは店主と喧嘩し、仕事をやめた。
だからかな、1957年生まれだけど自分本位の現代人と言う印象で、作品もその時代での「最先端」の設定を書かれてる。
でも美村里江さんの捉え方は少し違った。
「コンテンツと言うのは消費される運命にある。作品製作に関わる人間は常に、なるべく長く愛される作品をと知恵を絞っているが、ヒット作こそ経過が早い。勢いよく消費された一時の流行を終え、古いものとなってしまうのが普通だ。
ところが時代に関係なく、一定数の人に末長く愛され続けるものがある。昔話や、名作絵本などがそれに当たるが、木皿作品の強みはまさにここにあると私は思う。」
木皿泉作品は、時代に関係なく長く愛される作品だ、と。
それは確かに私もすごく思う。
私が「すいか」にどはまりしたのは放送されてから12年後だった…。
木皿泉作品は、効率化やバズりを求められるせわしない現代をいきる上で大切なことを教えてくれる。
本作で、ノブくんに結婚指輪の値段の嘘をつかれていた杏子。
ぶちギレた杏子はノブくんのクレカをもって出ていき、一千万円の指輪と領収書を持って帰ってくる。
めちゃくちゃ焦るノブくんだが、実は指輪も領収書も友達に借りてきたものだった。
「これ、貸してくれた夫婦さ。カリブ海でであったんだって。」
「ほう、うちと、えらい違いだね。さすが一千万円。」
「でも、最近、旦那さんと、3週間もしゃべってないんだって。いろいろあるのね。」
「ほう、一千万円なのにね。」
幸せって、目に見えるダイヤや数字じゃわからないんだな、と思った。
でも目に見えないもので幸せを感じるのって、すごく難しい…。
やっぱり普通は、効率よく自分を高めて結果を求めたり、人からのアクションを求めたりするから。
だからみんな木皿泉作品にはまるんだと思う。
自分も木皿泉作品に出てくる登場人物のように、または木皿泉さん自身のようになりたい、と。
世間の物差しで測られた幸せではなくて自分が確かにしっかり感じられる幸せをもちたい、みたいな。